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安藤百福氏はどんな人?47歳無一文からの成功エピソードと名言も紹介 | ナカハラポートフォリオ

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安藤百福氏はどんな人?47歳無一文からの成功エピソードと名言も紹介

安藤百福氏は、1958年に世界初のインスタントラーメンを世に送り出します。

40代でチキンラーメンを作ったのちに60代でカップヌードルを開発し、さらに90代では宇宙食の開発を果たします。

革新的な思考と失敗しても諦めない強い信念で、超ロングセラー商品を誕生させました。

この記事では、安藤百福氏のエピソードを解説します。

困難を乗り越えて、世界中で長く愛される商品を開発した洞察力を感じてみましょう。

1.安藤百福氏のエピソードを紹介

(1)少年時代は祖父母のもとで商売を感じながら育つ

安藤百福氏は1910年、日本統治時代の台湾の台南県に誕生します。

呉服屋を営む祖父母のもとで育ち数字に強い興味を持つなど、幼い頃から既に起業家の片鱗があった様子です。

(2)22歳でメリヤスの販売会社を設立

22歳で台湾永楽市場に、メリヤス製品を販売する会社を設立。「これからはメリヤスの需要が拡大する」そんな安藤百福氏の読みは的中し、若くして成功を収めます。

翌年には、日本の大阪にも進出。経営者として成功を収める傍らで、立命館大学専門部経済学科で学びを深めました。

さらに、幻灯機の製造やバラック住宅の製造の事業にも進出。

安藤百福氏がさまざまな事業で成功を収められたのは経営力に優れていただけでなく、今後の需要を読む力に長けていたからこそです。

開拓者精神旺盛な安藤百福氏は世の人々が求めるものをいち早く感じ取り、すぐに事業化しました。

(3)47歳で財産を失う

安藤百福氏は成功ばかりではなく、並々ならぬ苦労も経験します。軍需工場の経営に携わった際に資材の横流しの罪を着せられ、無罪の罪で投獄します。

45日間も拷問を受け続け、極限状態で自白を強要されるも拒否し続けて、最終的に冤罪を認められました。

その後、47歳のときに理事長を務めていた信用組合の破綻により、すべての財産を失います。

残ったのは住居の借家だけになり、ここまでの苦労を経験しても失ったのは財産だけと自らを奮い立たせます。

(4)48歳でチキンラーメン・61歳でカップヌードルを開発

大阪のラーメン屋台に行列ができていた風景を見て「家で簡単に食べられるラーメンを作ろう」と決心します。

1958825日、安藤百福氏が開発した世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売されます。

お湯を注ぐだけで食べられるインスタントラーメンが商品化した瞬間です。

さらにチキンラーメンの世界進出を検討していた1966年、安藤百福氏は欧米視察でカップラーメンにつながるインスピレーションを得ます。

1971918日には「カップヌードル」を発売し、インスタントラーメンは、安藤百福氏の洞察力で誕生しました

(5)1972年(62歳)にカップヌードルが人気食品に

カップヌードルは斬新な食べ物ゆえに、当初は人々に受け入れられませんでした。

袋入りラーメンと比べると4倍ほど高く、画期的な食べ方は奇妙と捉えられたためです。

しかしテレビでカップラーメンを食べる風景が偶然映し出された結果、評価は一転。日本国内で大人気商品となり、1973年にはアメリカ進出を果たします。

その後世界各国で発売され、世界中でカップラーメンが食べられるようになりました。

カップラーメンによって、世界中に利便性の高い食生活を届けます。

簡単に自由な場所で食べられるカップラーメンにはもっと自由に生きられるというメッセージが込められています。

(6)91歳には宇宙食の開発をスタート

年齢を重ねても、安藤百福氏の強い探求心は留まりません。世界進出の次に、宇宙進出を果たします。

91歳の安藤百福氏は率先して宇宙用ラーメンの開発を指揮します。

その結果、宇宙食ラーメン「スペース・ラム」が誕生しました。

スペース・ラムには無重力空間でも食べられるよう、大きさや形状、触感などさまざまな部分にこだわっています。

安藤百福氏が95歳のときに、実際に宇宙でスペース・ラムが食べられました。

強い信念と行動力があれば、何歳からでも夢が叶うと証明しています。

2.安藤百福氏の成功ポイント・名言とは

ここでは、安藤百福氏の成功ポイントを解説します。

(1)時代が変わる予兆を見極める

安藤百福氏は、日清食品の創業前にいくつもの事業を経験しています。

事業意欲の根幹は「人の役に立つかどうか」でした。

世の人が求めるものにアンテナを張り、時代にあわせた商品を展開することで、複数事業で成功を収めました。

大衆のなかにこそ、時代が変わる予兆がある

安藤百福語録|日清食品グループ

インスタントラーメンが普及し始めた頃の日本は、共働きや核家族の家庭が増え始めた時代です。

人々が手軽な食べ物を求めていると見極めていたからこそ、大ヒットにつながりました。

(2)強い執念で失敗しても復活する

安藤百福氏の人生で大きな失敗は二つ。一つは、47歳に全財産を失ったこと。二つ目は、カップライスの失敗で30億円を失ったときです。

一般的には特大サイズの失敗ですが、安藤百福氏は自身の開発したインスタントラーメンの宇宙進出まで果たしています。

発明はひらめきから。ひらめきは執念から。執念なきものに発明はない。

安藤百福語録|日清食品グループ

安藤百福氏の成功と失敗、2つのエピソードを比較すると、相対的に失敗エピソードは不思議と大きくはありません。

単体で失敗を感じるのではなく、成功までの通過地点と信じることで強い執念を得られます

(3)自分のバランス感覚で長生きする

健康の秘訣を聞かれると「週2回のゴルフと、お昼にチキンラーメンを食べること」と安藤百福氏は回答していました。

お昼ご飯にチキンラーメンを食べる理由は、インスタントラーメンが身体に悪いというイメージを払拭するためだったそうです。

やれそうもないことを成し遂げるのが仕事というものである。

安藤百福語録|日清食品グループ

安藤百福氏は96歳でその生涯を終えるまで、エネルギッシュに過ごしています。

キーポイントは、食生活においても全体のバランスに気を付けていたことです。

食材や習慣を単体で判断するのではなく、食べる量を抑えるなどでトータルで自分に負担がかからないように調整していました。

3.安藤百福氏から学ぶ起業の教訓

ここからは、安藤百福氏から学ぶ起業の教訓を紹介します。

(1)問題解決と新しい方法に着目する

求められるビジネスをするために大切なのは、世間にアンテナを張ることです。

しかし情報収集にも限界があります。興味のある分野に狙いを定めて、時代の変化を感じ取れるようにしましょう。

興味のある分野なら同じ景色を見ていても、他の人が感じ取れない領域にまで感性を広げられます

ちなみに、安藤百福氏は麺類好きだったそうです。48歳でインスタントラーメンの開発に成功した際には「ここにたどり着くには、この歳月が必要だった」と語っています。

インスタントラーメン開発の5つの目標には、世間の需要と麺類好きならではの感性が表現されているのも特徴です。

  • ・おいしくて飽きのこない味
  • ・保存性が高い
  • ・調理に手間がかからない
  • ・値段が安い
  • ・安全で衛生的

インスタントラーメン開発の5つの目標は、現在も日清食品の開発部門における基本マニュアルだそうです。

(2)失敗を恐れない

安藤百福氏の大きな成功には、失敗エピソードも多く確認できます。

行動の延長にある失敗だけでなく、時代に翻弄された辛いエピソードも……。

しかし成功するまで諦めなければ、失敗とは呼ばないようです。

強い執念をもって行動すれば、成功を目指すことができます。

(3)マーケティングの重要性を理解する

安藤百福氏が商品化したチキンラーメン以降、類似品が市場に出回りました。

しかし最後に残ったのは、チキンラーメンだけでした。

チキンラーメンの成功要因は、ストーリーが盛り込まれているためです。

安藤百福氏は、チキンラーメンを食品という枠に留めず楽しくて面白い商品として売り出しました。

初期のテレビCMでは、ポジティブな雰囲気のチキンラーメンの歌が使用されています。

近年では珍しくありませんが、当時としては画期的でした。

お腹を満たすだけでなく、商品を入手した先にある未来まで彷彿させるようなCMが印象的です。

4.安藤百福氏は世界の食文化に影響を与えたミスターヌードル!

安藤百福氏は、世界の食文化に大きな影響を与えました。

財産を失うなどの失敗をしているものの、それ以上に大きな成功を収めているのが凄いところです。

屋台の行列にインスピレーションを受けて開発されたチキンラーメンは、2020年代の現在も世界中で食べられています。

安藤百福氏の成功した経営者としての軌跡を感じてみましょう。