Webコーダーを目指すようになったきっかけ|音楽とものづくりの経験が導いた新たな挑戦

はじめまして。中原(なかはら)と申します。Webコーダーとして日々スキルを磨きながら、フリーランスのキャリアを歩んでいます。
1記事目では私の自己紹介をいたしますので、もし私の人物像が気になる方がいらっしゃいましたらご覧ください。この記事では、以下の内容をお伝えします。
- なぜWebコーダーを目指すようになったのか?
- どんな困難を乗り越えてきたのか?
- これからの目標
よろしくお願いいたします。
目次
1. Webコーダーを目指す前のキャリアを紹介
Webコーダーになる前の私は会社員であり、学生時代から趣味でドラムに情熱を捧げていました。
ここではそんな学生時代と会社員時代について、ありのままにお伝えします。
(1)~18歳:音楽に打ち込んだ学生時代

今もそうかもしれませんが、三兄妹の真ん中として生まれた私は「おとなしい」とよく言われていました。
しかし、X JAPANのYOSHIKIさんの荒々しくも繊細な唯一無二のパフォーマンスに感銘を受け、「ドラマーとして生きる」と決意。高校時代は商業科に進み、アルバイトと音楽活動を両立しました。
アルバイトの内容は飲食店のホール・キッチンで、昼は高校卒業のために通学し、夜はドラムを叩き、その他の時間はバイトという生活でした。
また、アルバイトは音楽活動だけでなく実家の生活費でもあり、学生でありながらもお金を稼ぐ苦労を痛感した時代でした。
(2)18歳~30歳あたり:製造業・建築業でのキャリア

高校卒業後、自動車部品の製造業の正社員となります。
ただ私のやりたいことは大人になっても変わらず音楽活動で、本業の合間にバンド活動を継続。ドラマーとして、多くのライブやイベントに参加しました。
ちなみに当時は2020年以降と比べると好景気で、それなりの生活を送れていたと思います。しかしこの比較的安定した生活はリーマンショックによって、あっさりと終焉を迎えてしまい、リストラに遭った私は製造業の正社員を退職し、建築会社の管理職に転職しました。
結果としてこの建築会社で10年以上働きますが、ここで、それまでとは異なる苦労を経験することになります。
(3)30代半ば~後半:極限状態に陥る

30代後半、職場をきっかけに出会った女性と結婚しますが、仕事の負担はピークに。
自分でも限界を感じていたことから、会社に退職を申し出ますが「ここでやめられたら困る」と一蹴され、当時の私はそれで退職を踏みとどまってしまいました。
そんなある日、職場から帰宅した私は自宅の玄関で失神したらしく、そのまま救急搬送されます。
あらゆる検査をしても何も異常が見つからず、失神を伴うような持病もありません。ここで重度のうつまたは適応障害だと診断されます。
これをきっかけに約半年ほど休業し、建築会社もその流れで退職しました。
退職後も精神科で治療を継続しましたが、通院の負担や服薬による副作用が辛く感じました(※2025年現在は寛解済み)。
30代後半にして、心身の健康の大切さを身をもって体感します。
(4)40代~:新しい生き方を模索する

建築会社を退職した私は治療を続けながらも、まずは派遣社員として復職します。
当時の自分には休む時間が必要でしたが、傷病手当金などは受給していても、近い将来を考慮するとお金が足りない状態でした。
最初の派遣先ではうつが再発してしまいうまくいかず、次の派遣先で働きながらも精神安定剤の断薬に成功。しかし、職場の事情によって契約期間中に途中解約となり、再び仕事を探す状態に陥りました。
こうした経験を通じて「会社は確かに大事だが、自分の力で生きたい」そう強く感じていました。ここで、思いがけないきっかけから、Webコーダーという新たな道に出会うことになります。
2. Webコーダーを目指すようになったきっかけ

Webコーダーになるきっかけは、過去の経験を活かせる新しい生きがいに出会えたことです。
ここではそれらについてお伝えします。
(1)前提となる働き方を改める必要性
うつと仕事探しから解放されるためには、自分の働き方を改める必要性を感じました。
前提として、うつや転職は自分の行動の結果だと客観的に感じています。ストレスをきっかけにうつを発症した私ですが、後悔ではなく振り返りとしてそれを回避する手段はあったはずだとも。
また、人間にはそれぞれ適不適があることもここまでの人生での学びです。
私には建築会社での管理職がストレス源となっていましたが、人によっては耐えられる範囲だったり、ストレスをうまく回避できるかもしれません。
できないことを自覚し、行動を改めるのは、計画性をもってすれば決して悪いことではありません。それは40代に突入してからようやく聴けるようになった自分の心の声と、これまでの転職によって感じていることです。
(2)勉強と実行を繰り返す楽しさを体感
うつの治療期間中、妻からプログラミング学習を提案されます。余談ですが、妻はフリーランスのWebライター兼編集者として逞しく生きる人です。
試しにHTMLやCSSに触れてみたところ、どんどんのめり込んでいきました。
現在の自分からすれば当たり前ともいえることですが「コードを書けば画面に形が現れる」そんな体験に感動します。
当時はうまく言葉にできませんでしたが、プログラミング学習に感動した理由は、これまでの仕事や音楽と共通する「ものづくりの感覚」がありつつも、思考力は求められるものの、身体的な負担が少ない点にありました。
プログラミング学習なら、製造業や建築会社での仕事のように重たい荷物を運ばなくても行うことが可能です。学習ではもちろん詰まるときもありましたが、先人の教えを辿って解決を導き出すと得も言われぬ快感もありました。
「これで世の中に貢献できるなら、それほど嬉しいことはないだろう」そんな無我夢中の思いで、うつの治療中からWebコーダーを志すようになります。
Webコーダーを目指す決め手となったポイント
きっかけ | 見つけたこと |
---|---|
会社に依存しない働き方をしたい | フリーランスとして手に職をつけられる |
コードを書く楽しさを発見 | ものづくりが好きな自分に合っている |
HTML/CSSで形ができる | 音楽と同じくゼロから創り上げる喜びがある |
3. 自分の強み(アピールポイント)に思うこと

最後に、ここまでの経験などから自分の強み(アピールポイント)に思うことをお伝えします。
① 経験をもとにした判断
挫折したものの、管理職での社会人経験があることから、企業目線の一般常識などはおおよそ網羅しています。また、以下のことなら精通していると自負しています。
- ヒューマントラブルの対応
- 元請け会社との交渉
- 従業員の管理
- 管理者教育について
- リフトや玉掛けなどの免許について
これまでの経験も今後に活かすことができればと思ってます。
② 自己解決能力
Webコーダーを目指す際に、最も求められたのが自己解決能力でした。
自己解決能力とは、問題の本質を見極め、最適な方法を導き出す力だと思ってます。
個人的に最も苦労した部分ですが、Webコーダーになる前後の自分で特に大きな違いは自己解決能力の有無です。
③ 逆境を乗り越える力
逆境を乗り越える力は、意図的に備えたものではありませんが、結果として身についてしまった能力です。
人生のピンチは経験しなくて良いと個人的に思いますが、私はお金での苦労やうつなど、多面的な苦労を経験しました。
苦労の最中にあるときは「貴重な人生の時間を無駄にしている」と感じていましたが、熟考した結果「いまの自分に至るには必要なことだった」と腑に落ちました。
4. おわりに
これまで、音楽やものづくりを通じて「ゼロから何かを創り上げる喜び」 を感じてきました。そして現在、Webコーダーとして 「新しい未来を創る」挑戦をしています。
困難を楽しむ!そんな精神で日々前進して参ります。最後まで読んでいただきありがとうございました。